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Melakaの歴史 +α 編

以前,マラッカについてアップしましたが,あれからマラッカの

ガイド本を目にすることが多くなり,新しい情報や私の認識が間違って

いたので,ちょっと追加アップさせていただきます。

まず,ポルトガル軍とオランダ軍の戦いは相当熾烈で激戦だったようです。

最後の8ヶ月は,ポルトガル軍は完全に追いやられ,人肉を食べなければ

ならなかった・・・とまで言われています。

 

ここはそのポルトガル軍の要塞跡。もしや,ここで・・・・・。

そして,フランシスコ・ザビエルさんのくだりを紹介し,

 アップしたこの教会。

今でこそこんな立派な教会が建てられていますが,ポルトガル軍が負けたことにより

一時期この地のキリスト教徒は,隠れて祈りをささげていたようです。

そして,一番有名なマラッカのシンボルでもあるこの色。

 これはオランダが建てた教会です。周りには同じ色を

した建物がたくさんあります。

以前,私は「オランダはポルトガルから一変したことを民衆に伝えるためにこの色に

したのかな」とお伝えしました。

でも,オランダ統治時代,この建物たちは白だったそうです。

次に攻め入ったイギリスがこの色に塗り替えたそう。

イギリス=この色ってあまり結びつかないんですけど・・・。

でも,そう考えるとなんか怖くないですか?

この色の建物が次々に建っていくならまだいいんですけど,

ある日突然建物がこの色に塗り替えられるって・・・・。

なぜ,塗り替えたか,なぜこの色かはいまだに謎だそうです。

奥が深い・・・マラッカ・・・。

まだまだ後日報告のマラッカの秘密がどんどんでてきそうです。

あ~,ひさしぶりに「世界ふしぎ発見」見たい~。

マラッカ編のDVDとかないかしら~。

マレーシアの歩き方 Melaka編

Melaka(マラッカ)に到着しました。

クアラルンプールからはだいたいタクシーで2時間半ほど。

2008年に街が世界遺産に登録されました。

まず私たちが降り立ったのは

ここ,クライストチャーチ。街の中心といえる場所です。

独特なこの何ともいえない土色。

  

このあたり一帯は,教会も時計台も人々が行きかう道路もこの色。

光が当たると,青空との対比ですごくきれいなピンク色に見えます。

これらの建物はオランダが建築したもの。ポルトガルを破り,マラッカを手に入れた

オランダは,なんかこの独特の色を使うことで,今までのポルトガルの支配から心機一転!

新しいマラッカを作り上げたかったのかもしれませんね。

そして,このクライストチャーチはトライショーと呼ばれるお花自転車のたまり場。

歩けば,自転車の運転手さんたちが「どうだ,どうだ」と声をかけてきます。

私とだんなさんもせっかくだから乗車してみることに

このお花(造花)の装飾は運転手さんのセンスによってずいぶん違います。

お花が盛りだくさんのものもあれば,ちょっとさびしいものもあるし,なんかへんなカブトムシみたいな装飾をつけている人もいるんで,声をかけられてもすぐにはOKせず,ちゃんとそのおじちゃんの自転車を確認してからのりましょう。

自転車に乗り込むと,その日の気分に合わせたCDをかけてくれます。

料金は時間制で,行きたい場所を伝えるとだいたいどのくらいの時間がかかるか運転手さんがおしえてくれます。

中には街全体をまわって,いろいろ説明してくれる人もいるようです。

私たちはこのトライショーに乗って,クライストチャーチから坂を上ったところにある,

ファモサ(サンチャゴ砦)というところへ向かいました。

 

表側と裏側。

これは最初にここを占領したポルトガルが造った要塞跡です。

今はこれだけしか残っていませんが,もっと大きなものだったのでしょうね。

昔,歴史の授業で,どの国がどこを支配していたか・・・みたいな地図を覚えさせられませんでしたか? ただ,なんとなく,ここはこの国,ここはこの国・・・みたいに。

でもここに来れば,なんか大航海時代にヨーロッパがアジアへやってきて,ヨーロッパ各国が必死にアジアを自分のものにしようとしていた,その必死さを肌で感じることができます。

どれだけ手に入れたかったか,どれだけ守りたかったか。

いたるところに残るいろいろな様式の建物から,マラッカはそういう時代に流された街なんだなぁと感じさせられます。

このファモサのとなりにある小さな博物館にも入ってみました。

自転車のおじちゃんが,ファモサ5分,博物館10分で行ってこいというので,バタバタ見学しました。

ここには,日本が占領したときに発行したのでしょう。

日本政府発行と記されたドル(ちょっともう記憶が定かではない・・・マレーシアドル?)紙幣が

展示されていました。ほんとうにいろいろな国の貴重なものが集まっている街です。

さて,ファモサ要塞から急な階段を上ると,

セント・ポール教会に辿りつきます。

教会と言っても跡地で外壁が残っているのみです。

 

ここもポルトガル軍に建てられたもの。

ここで,あの日本でもおなじみザビエルさんが布教していたそうです。

彼の死後,ザビエルさんの遺骨は9ヶ月ここに安置されていたそうです。

彼の遺骨はいろいろなところに分散されたと言われていますが,右手だけが本国に戻ったそうです。そういう意味でか,ここに立つザビエルさんの像は右手だけありません。

この教会跡は高台の上にあり,ここからマラッカ海峡を望むことができます。

今でも,大きな船が行き交っていますが,昔はいろいろな国の貿易船や軍船が行き交っていたのだと思うと,なんだか浪漫を感じます。

この丘を降りると,ここでキリスト教を布教したザビエルさんを称える ザビエルチャーチがあります。

この街のキリスト教の方々の信仰の場所となっています。

ザビエルさんは日本だけではなく,さまざまなところで歴史を作った人だったんですね。

街の中心には川が流れています。

 

この川沿いにはレストランやカフェが立ち並んでいるのですが,この川を見ると,ここはアジアなんだなと感じます。泥色だから(笑)

クアラルンプールは「泥の川が集まる場所」という意味ですからね。

そして,この川では体長1メートルほどのオオトカゲが泳いでいます!!

一匹しか見ていませんが,大きかった!! 次に見たときは,普通に岸に上がって,長い舌をペロペロ出しながら休憩していました。

さて,私たちもこの川沿いにあるカフェでランチです。

いただいたのは「ニョニャ料理」(ちょっと言いづらい)

中国から華僑の人々がわたってきてマレーシアの女性と結婚し,生まれた子孫の男性を「ババ」,女性を「ニョニャ」と呼ぶそう。ニョニャ料理は言わば,そういう人々の家庭料理。

これが今「マレーシア料理」といわれているものの原点だと思います。ナシゴレンとか,ミーゴレンとか。

私は 「ラクサ」をいただきました。

私が大好きなヌードルの一つ。ココナッツベースのスープにさまざまなスパイスが入って,まったり濃厚な味。思い出しただけでよだれがでます(笑)

ランチを済ませ,街を再び散策。

知れば知るほど,不思議な街です。

急に

 インド街に突入したり。

 中国の寺院があったり。

ここは,インド人が建てたモスクなのですが,中国の寺院と同じならびにあるからか,丸いドーム型のモスクではなく,アジア~な雰囲気満載のモスク。

中も,なんとなく地元に馴染みました・・・というか,若干遠慮しました・・・という「イスラム教です!」をむんむん出していない感じ。

路地を一本入ると,そこはもう観光地ではなくって,地元の人たちの生活の場。

雑然としているし,決してきれいではありません。

でも,なんかだからこそ,観光地なのに生活観があるというか,ヨーロッパの貴重な建築物たちも自然と街に溶け込んでいるというか・・・・

歴史も人々の生活も感じられる街です。

気取ってないところが好き。

小さな街なので,クアラルンプールから日帰り旅できます。

ぜひぜひ浪漫を感じにマラッカへ行ってみませんか。